2016年 12月 15日

ネトウヨの本質は、「同調圧力に弱い人」である

「一人だと弱い」

落選したヒラリー・クリントンのキャンペーンスローガンは、「Stronger Together」というものでした。
なんかまあ、ちょっと、日本のネトウヨのことを思うと、これが、非常に皮肉に適合しているんじゃないだろうかと、思ったりしますね。

確かに、人類の普遍的原理ではある

「一緒ならもっと強い」というのは、「一人だと弱い」という意味であって、この言葉は、どっちかというとそっちの意味合いのほうが強いんですね。
バラバラだと弱い個人、個人というのは、バラバラだったら弱いに決まっているんだから、とにかく寄り集まろう、強いほうがいいに決まっているんだからと。
それは、権力側から見たら、個人がまとまらないで、バラバラのほうが、都合がいいに決まっています。そっちのほうが、弱いから。
市民運動の基本論理はこれで、日本の場合にも、例えば昨年の反戦運動なんかも、「とにかくまとまる」ということが、ほとんどすべての人の参加の論理だったんじゃないかと、私は思う。
一人だと弱いから、とにかくもうちょっと強くなるために、まとまろう、これは、自然な「欲求」ですし、本能的なものでもある。
こういう考え方というのは、「バラバラの個人は、とにかく弱いものである」ということを認めたうえで、出てきているんですね。
弱いよりも、マシだから、とにかくまとまろう。集団になろう。寄り集まろう。
まあ、それは、基本的には、間違っているわけではない。
「常に正しい」とも、限りませんが。
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ネトウヨの本質は、「同調圧力に弱い人」

ネトウヨの場合には、これが非常に強く働いた人たちの集まりなんじゃないだろうかと、そういう気がします。
「一人だと弱い」というふうに、ものすごく強く思っている。
とにかく、まとまりたい、一人で何かをするということは、嫌だと。
まとまれる理由が、何かないだろうか。
「頭のいい人たちのまとまり」とかには、入れない。
そして、「愛国ぽいもの」というのは、非常に敷居が低くて、バカでも入りやすいんですね。
だからこそ、三原じゅん子みたいな人でも、入れたというわけです。
三原じゅんこ↑この人が、今では国会議員だとか、信じられない話ですよねえ。

敷居が低いから、誰でもできる

だから、ネトウヨというのは、結局は、同調圧力であって、「いじめを怖れる論理」でもって、成り立っている。
敷居は、どこまでも低くなければならず、最大公約数的なものでなければならないので、よって、「オラオラ」している、ものごとは深く考えてはいけない。
嫌韓で嫌中で靖国万歳でアメリカ大好きで皇太子夫妻は売国で、サヨクは敵だと。
そういう基本さえ間違えなければ、誰でも「まとまれる」ということで、「一人では弱いと思っている人」を、どんどん回収できる。

経年による分岐

しかしまあ、ネトウヨの世界というものも、長くやっていれば、だんだんと「差をつけたい」と思う人も、出てくるわけで、そういう人たちは、リチャコシに行くというのが、だいたいの道筋なんですね。
「安倍は田布施で…」とか言い出して、そうなると、従来の「愛国ウヨ」からは、はじき出され、いじめに遭うという運命のはずなんですが、実は、そうでもなくて、それは、そっちにコンバートする人が、増えてきたから。
アホ回収装置には変わりはありませんが、アホはアホでも、そっちのほうが、敷居はちょっとだけ高いから、そっちのほうが上等なんじゃないかと思って、「引っ越す人」というのが、けっこう出て来て、この「引っ越し先」には、実は従来のウヨとは毛色の違う人たちも、住みついている笑。

新しい村も、虚構なのである

ですから、現状というのは、だいたいですが、二分されているというくらいになってきているのかもしれず、そして、「古い村」に住んでいる人たちというのは、ほぼプロ化している、飼いウヨ率が非常に高くなっている。
しかし、新しい回収装置のほうが上等だということは、別にありませんので、日本のネットが、惨憺たる状況であるということには、変わりはない。
まあ私は、本当に、リチャコシとか、ああいう人を「信じる人」が、気の毒で仕方がない。
ああいうものは、「娯楽」ですよ。
一昔前の五島勉とか、UFO専門家とか、そういうのと同じ。
そら、奇抜な仮説を聞くというのは、楽しいですよ。
それは、誰でも一瞬は楽しいの。珍しいから、現実を忘れさせてくれて、別の世界に行けるから。
しかし、「ああ面白かった」と言って、現実に戻らなければならないわけですよ。
誰も、トンデモ本の世界で、現実の生活を営むわけにはいかないんですから。
だから、私は、声を大にして言いたいが、

五島勉≒リチャード・コシミズ

このことを、「常識」にしていってもらいたいんですよ。
媒体が、紙からネットに変わったからといって、そういう「娯楽」を提供する人たちが、娯楽じゃなくなったというわけでは、ありません。そんなわけがないでしょ。
だから、田布施説に行った人たちというのは、A地点から、B地点に引っ越したというわけじゃないんです。
あなたがたは、まだA地点にいるんですよと、私は、それを言いたいわけなんですね。

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by cumbersome | 2016-12-15 19:42 | つぶやき

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