2017年 03月 31日

ゴダイゴとは、なんだったのか

最近、ゴダイゴの1980年天津コンサートのビデオを見る機会があって、いろいろと、改めて考えるところもありました。
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「10年後に残っているバンドは」

ゴダイゴって、結局のところ、なんだったのかな、と。
当時ですが…ある芸能評論家の人が、誰だったか忘れましたが、今から10年後に残っているバンドは、サザンとゴダイゴだけだろうと、予言をしたんですね。
その予言は、半分は当たったけど、半分は外れた、ということになる。

白洲次郎夫妻的立ち位置

私の結論から行くと、ゴダイゴというのは、「日本文化の中」では、「白洲次郎夫妻的な位置づけ」でいいのではないか、と。
要するに、「ええとこの坊ちゃん嬢ちゃんの使命感」的な、そういう。
そうだ、ゴダイゴ前の芸能界では、「歌や踊り」というのは、「貧乏から脱出するための手段」であったのであり、「芸能界で売れる」ということは、「成り上がる」ということとイコールだった。
あのころの芸能人で、「赤貧な苦労話」とは無縁だった人なんて、一人もいないはずである。
実を言えば、「ゴダイゴ後」にも、基本的には、「それ」に戻ってしまったのである。
日本の芸能界というのは、常に、ほぼ「貧乏くさい」のであって、「売れてよかったね」「もう食うに困らないね」「昔は大変だったね」という、そういう、悲しい感じから逃れることは、今に至るまで、できていないのである。
ときたま、二世とか、歌舞伎や能みたいな伝統芸能系からの流入などの「貧乏くささや成り上がり感覚とは無縁な感じの例外」は、あっても。

ええとこの坊ちゃん嬢ちゃんの道楽

ゴダイゴというのは、ひらたく言えば、奈良橋夫妻みたいな裏方も含めて、「ええとこの坊ちゃん嬢ちゃんの道楽」だったんです。
だから、ああいう感じ。
もともと貧乏じゃないし、どっちかと言えば特権階級だから、売れに売れたピンクレディーが、「次はアメリカで売れるしかない」と思って、野望をギラギラさせたのとは逆に、「平和」を言い出したり、「アジア回帰」という方向性になった。
とっくに「西洋との一体化」を果たしていたからこそ、回帰ができる、というわけで、ここらへんは、アメリカ人よりも英語が上手かった白洲次郎が、急に野良仕事を始めたり、その妻が、骨董品に没頭したりしたところと、似たものがある。
これは、相当の部分において、「自分たちは、例外であって、もう西洋人の仲間になってるから、アジアに回帰しても、もうアジア人にはならないから、大丈夫」という、意味合いなのである。
普通なら、日本人というのは、「どうやって、ほかのアジア人と違うというふうに見せるか」ということに、必死になっているのであって、それは、明治時代から、ずっとそうなのである。
「同じ」だとは、絶対に思われたくないから、できるだけ、同じことをしないし、「どこが違うか」ということを言うのに、必死になるわけで、そういう状態であれば、そもそも「回帰」なんか、できるわけがない。
「回帰」ということができるのは、「自分は別物だ」ということが、はっきりした時点に限るのである。
ゴダイゴというのは、「最初からそう」だったから、「別物」だったから、ああなったのであって、そして、ええとこの坊ちゃん嬢ちゃんの道楽であったからこそ、ガツガツしないで、なんとなく「いったん終わって」、別れたのである。

武川個人の特異なパーソナリティ「ハングリーではない」「ストイックでもない」

彼らは、「特権階級の使命感」みたいなものを感じていて、さらに武川なんかは、自分の才能というものを「ギフトだ」と思っていたふしがあり、ギフトである以上は、自分にはなんらかの使命があるということになって、そして、その文脈で行けば、ネパールそして中国でのコンサートをやり遂げるという形で、「使命を果たした」ということになるのだから、もう、いつ終わってもいいという、無欲な話になるわけだ。
武川というのは、あれだけ売れて、注目を集めても、自分のことを、歌手だとか、スターだというふうに認識していた形跡は、ほとんどない。
彼は、たぶん、あの当時は、自分のことを、「音楽家」だというふうに思っていて、仲間と作り上げた楽曲を表現するための「ツール」の一部として、ボーカリストとかパフォーマーとしての自分がいる、というふうに考えていたはずだと思う。
ということは、それをやるのは、実は、自分でなくてもいいということになるのである。
その「楽曲」を、自分よりも、よりよく表現できるようなパフォーマーがいたのであれば、その相手に任せただろうと、思う。
だから、「自分のパフォーマーとしての水準」を保つことには、最初から、非常に無関心で、喫煙は当時からしていたし、運動はせず、食べたいだけ食べた結果、28歳の絶頂のときと、64歳の今では、あのように、まったくの別物になってしまっているのである。
28歳で絶頂を迎えて、「人生最大の大仕事」を終えてしまったような人は、その後の人生というのは、余禄というか、ヒマつぶしになってしまうから、かなりつらいことではないかなあと、思うけれども、武川に関して言えば、彼は、つらくもなんともないのである。
もともとの話が、パフォーマーではなくて、「音楽家」だったのであるから。

一瞬でも「日本の芸能界の貧乏くささ」を駆逐した、それがゴダイゴ

なにしろ、日本の音楽業界というのは、ゴダイゴが売れている間だけは、妙に「貧乏くささ」が低まっていたのである。
そして、彼らが去ったら、あっという間に、元に戻って、そして、ゴダイゴのような「ええとこの坊ちゃん嬢ちゃんの道楽で平和音楽をやるような人たち」というのは、二度と出てこなかったのである。
ゴダイゴの前にゴダイゴはなく、ゴダイゴの後にゴダイゴはなし。
それが、ゴダイゴ。

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by cumbersome | 2017-03-31 20:33 | 音楽

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